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うつ病になる前に。。

「うつ病」 とてもデリケートな言葉。 私が今から書くことはあくまでも持論なので、失礼な表現になっているかもしれません。 予めご了承ください。 それでも、この気づきを、誰かに伝えたい。 これが、うつ病への解決につながって欲しいという願いを込めて、書きます。 私の家族、母、父、兄弟、そして私自身、更に旦那までもが、みなそれぞれうつ病になりました。 現在進行形で、旦那はうつ病。 うつ病とは、心の風邪だ、という表現をしているけれど、私にはどうもしっくりこない。 何故なら、私の母親は、13年間鬱病で、治ることなく死んでしまったから。 それを「風邪」という表現をされても、納得が出来ない。 そして、「治る病気です」という表現は、気休めにしか聞こえないし、間違いだと思う。 「治る病気」かどうかは、「自分次第」つまり。。 「 自分で治す 病気」という事なのではないだろうか 私もうつ病になりかけたので、病院にお世話になったことが何度かありますが 医者は「お薬を出すだけの人」 TVドラマみたいに、親身に話を聞いてくれて、先生に励まされ、勇気が湧いた。。なんてのは、現実世界には全く無かった。 少なくとも私と、他の鬱になった家族もみんな。そんな医者、全然知らない。 絵空事。むしろそんなお医者さんがいたら教えておくれ。。 くれぐれもお医者さんに親身に聞いてくれることを期待して受診しないように。 驚くほど何も聞きませんので。。 医者とは、心を落ち着かせるお薬を出す人でしかない。 ので、 心を薬で一時的に落ち着かせた後、 「自分自身で治すための行動」をしないと治らない。 少なくとも私自身はそうだった。 だからこそ 「治る病気ですよ」なんて、軽々しく言わないで欲しい。 それではまるで 「お薬飲めば治りますから」と言ってるのと同じ。違うでしょ!! それだけでは、絶対に治らないんだよ。 そんなこと言われたら、自分で治すための行動をしなくなるので止めて頂きたい!! みんな「お医者 様 」なのだ。 こちらが何を言おうが聞く耳を持たない。 お医者様が言う事が絶対なのだ。。少なくとも私の周りは。。。 おかげで、旦那は自分で治すための行動が必要だ...

『大恋愛〜僕を忘れる君と』に感動しました!

あんな素敵な恋愛ドラマ なかなかないですよね!! どこかにドラマを振り返られる動画ないかな。。ということで、 自分で作ってみました。 ちょっとあったので、紹介します! 第3話 第4話、5話 途中のお話しかできていませんが・・・ 見たことある人にとっては、振り返りになってくれたらと思います。 ムロツヨシさん、戸田恵梨香さん、このお二人だったからこその素晴らしい作品だったのかもしれませんね!! 素晴らしい感動をありがとう!!

何もできない自分と向き合う

何もできない自分。。について、考えてみた。 「何も」とは、 ➛「人に」「胸を張って」「堂々と」「出来るよ」 と言えるような、何らかの 「特技」 を指している。 「人」が軸 。 その「人」が見た時に 「おおー!すげえ!」「さすがだな!」 と言ってもらえるほどの凄い腕。 が、 「無い自分」 と、嘆いているわけなのです。 「人に凄いと言われない程度の能力では、何か出来ているうちには入らない」 というのが、今の自分の 「判断基準」 になっている。 だいぶ年を重ねてみて想う。 凄い=出来る である必要があるのだろうか。 別にどう思われても良いんじゃないだろうか。 それと同時に 仮に、ピアノが出来るよ、と言ったとします。 言った目の前の相手から、 「え。。それで?」とか「それって出来るうちに入るの?」とか 「ピアノ出来るって言っといて、〇〇っていう作曲家のこと、何もしらないわけ?」 などと 「嫌なリアクション」=否定される、悪く言われる、バカにされる のが、 「怖い」 んですね。。 冷静に考えてみると、その目の前の相手にも問題がありそうなんですけどね; ただ、そうなんだ!凄いね! と言えばそれで良いのに、いちいち文句。 もしかしたら、その相手こそ、自信の無い人だったのかもしれません。 その時、この人、可哀そうな人かも。ってわかっていたら 私は傷ついたり、そこまで怖がることは無かったのかもしれません。 今も少しは怖いですが、

「いい人」をやめる方法

「いい人」って、何だろう 例えば、「いい人だと思っていたのに」 と言われたとき、ショックを受けている自分がいた。 ショックの理由は 「折角いい人って思ってくれたのに、期待を裏切ってしまった。ガッカリさせてしまった」 「相手に悪い事をしてしまった」 などと、自己嫌悪に陥り、相当苦しんだ。 「ああ、私は人の期待に応えられない、ダメ人間だ」 とさえ思った。 つい、人にいい人を期待され、 いざ、いい人ではないと言われたとき 自分は悪い人間として認定されてしまったというショックを受ける。 ところが、気づいてしまった。 人の言う、 「いい人」の「本当の意味」を。 いい人、の言葉の前に、一番重要な言葉が抜けている。 みんなが意識しているのは、「いい人」の前の言葉の方だ。 「いい人」の真実は 「 都合の いい人」 だった。 あーあ、いい人だと思ってたのに(都合よく動いてくれる人だと思ってたのに) あーあ、貴方ならこっちの面倒みてくれる「いい人」だと思ってたのに(都合よく面倒見てくれるって期待したのにな) あーあ、いいお母さんだと思ったのにな(都合よく何でもやってくれる母親だと思ったのに) あーあ、なんでもテキパキやってくれる、いい奥さんだと思ったのに(なんでもやってくれる都合の良い妻だと思ったのにな) ・・・など 相手の身勝手な期待にも、都合よく応えてくれる人 それこそが、「いい人」の正体だ!! それに気づいた時。 うわあ・・自分、何やってんだマジで。。相当落ち込んだ。 いい人でいる事が、なぜ苦しくなるか、これで良く分かった。 そりゃそうだわ 相手の身勝手な期待に応える人が、「いい人」なんだから。 その「いい人」をやるなんて、辛いに決まってる。 どんだけ無意味な事に、時間を費やしてきたのだろうか。。 それと同時に 「いい人」に 「価値は無い」と、きっぱり思う事も出来た。 いい人でいるという事は、自分が苦しむだけだという事。 「いい人」という響きだけに翻弄されていたのだ。 「良い」という言葉は、やはりいい言葉なんだね。 だけど、「本当の意味」を考えなくてはならなかった。 いい人とは、ただ都合の良い人に...

思考は、行動の「司令塔」

私は、〇〇のプロ、〇〇の専門という響きを聞いたり見たりすると、とても辛くなる😖   〇〇のプロ、〇〇の専門、トップアスリート・・・ なんてキラキラした、眩しい言葉なんだろう✨ そんな風に言える事、私には何一つ無いな。。。 そんな気持ちの辛さを乗り越える。 ・・・いや、越える必要は無かった。 その辛い、〇〇のプロ、〇〇の専門 それは、 「比較する対象ではない」✖ 比較してしまうと、 「それなのに自分は・・・」と、自分を悪く思うようになる。 自分という人間が、ちっぽけに見えてしまう。 だから、辛いのかもしれない。 比較してはいけないし、比較する必要もなかった。 比較じゃない。 「希望の光」 と捉えてみることにした。 「同じ人間が出来ているんだ。・・・・ 自分にだって、出来ることがある かもしれない 」 プロになった人、何らかの専門になった人、トップアスリートになった人。 一つのことに絞って集中して、そのためだけに人生を捧げてきた人々。 他の選択肢もあっただろう、その選択肢をすべて捨てて、選択決断し、行動してきた人。 それは尊敬に値する存在だ。 私はというと、まだ、一つに絞っていない。 「何か、 一本に 集中していない」 残念ながら、まだ、何に集中したらいいかわかっていない。 憧れの人たちは、これ一本しかやらない。と決めた人達。 なりたいのに出来ないから、どうしても辛かった。 プロ、とか、専門、とか、トップアスリート、のような「響き」が 私一個人的に、「眩しく思えた」だけのこと。 「希望の光」と聞くと、凄く眩しい光のような印象だけれど 私が考える光の様子は、 「ほんのわずかな光」 今の私の状況は、「暗闇」 その暗闇に、かすかでも「光」が見えたら、それだけで「救い」になる 「まだ、捨てたもんじゃない まだ、出来る事があるかもしれない」 何もできない。。どうせダメなんだ。。 から 自分にもできるかもしれない 凄いな!私もなりたい!! そう思えたら、前へ進めるようになれるかもしれない。 全ては自分の中の「解釈」に過ぎない この時点では 現実世界では、何も起こっていない。 頭の中の世界で、ただ、自分と向き合って、どう捉えるかを決めているだけ。 その 決めたことが、自分のこれ...

小さな「イチ」の威力

何かに新しくチャレンジしようとしたとき 例えば、料理を全くしたことのない大人が 初めて料理にチャレンジするとき 最初にチャレンジする「内容」は、とても重要だ。 何故なら、「最初のチャレンジ=入り口」はまさに「第一印象」と同じで そこで上手く行かないと、もうやりたくない、になってしまう事が多いからだ 小さな「イチ」 おにぎりを作る、目玉焼きを作る、ゆで卵を作る…など 小さな子供がチャレンジするならまだしも、大人なのに? と思う程の、 「楽勝」 なこと。 ところが実際にやってみると、それでも上手く出来るかどうか、ではないだろうか? 塩おにぎりを作ろうとした時 私はTV番組の作り方をみて、忠実に再現したらできた。 もしそれがなかったら、酷いおにぎりになっていたはず・・ 塩加減が意外と難しくて、 付け過ぎればとても食べられたものではない・・ 手に水をつけなければ、手にお米はベっとべと。 やり方を知らないと、どんなに楽勝なことでも、 全然うまくいかない。 楽勝そうに見えることが、=楽勝とは限らないこともある 小さなイチは、バカにできない。 楽勝=小さなイチ これができたらまず凄い! 自信のない人ほど、超簡単で楽勝という「印象」の物事ほど、つい見下しがちになってしまう。 まさに前までの私がそうでした・・反省です。 何か新しいことを始めようとするとき 進み具合の遅さ、あまりの出来の悪さに つい自信がなくなる。 実際にチャレンジをしてみて、上手く行かないと、 何やってもダメだな自分は 向いてないんだろうな やっぱ自分だから上手くいかないんだろうな 他の人なら上手く出来るんだろうな 自分って本当に不器用だな… 何一つ上手くいった事がないからな…いつも通りだな… と思ってしまう。 初めてのことに挑むなら、上手く行かない事に挑むなら その後に起こることは、 必ず 成功しない結果 一般的には「失敗」と呼んでることが多いけれど 失敗って、実はないのかも・・? 成功しなかった結果だった、というだけで。 期待した結果じゃなかった、だけのことで 経験値は確実に得ている。 何かしら、得ているものがある。 挑戦する前に悩んだ自分 挑戦した自分 実際に実行した自分...