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7月, 2018の投稿を表示しています

「いい人」をやめる方法

「いい人」って、何だろう 例えば、「いい人だと思っていたのに」 と言われたとき、ショックを受けている自分がいた。 ショックの理由は 「折角いい人って思ってくれたのに、期待を裏切ってしまった。ガッカリさせてしまった」 「相手に悪い事をしてしまった」 などと、自己嫌悪に陥り、相当苦しんだ。 「ああ、私は人の期待に応えられない、ダメ人間だ」 とさえ思った。 つい、人にいい人を期待され、 いざ、いい人ではないと言われたとき 自分は悪い人間として認定されてしまったというショックを受ける。 ところが、気づいてしまった。 人の言う、 「いい人」の「本当の意味」を。 いい人、の言葉の前に、一番重要な言葉が抜けている。 みんなが意識しているのは、「いい人」の前の言葉の方だ。 「いい人」の真実は 「 都合の いい人」 だった。 あーあ、いい人だと思ってたのに(都合よく動いてくれる人だと思ってたのに) あーあ、貴方ならこっちの面倒みてくれる「いい人」だと思ってたのに(都合よく面倒見てくれるって期待したのにな) あーあ、いいお母さんだと思ったのにな(都合よく何でもやってくれる母親だと思ったのに) あーあ、なんでもテキパキやってくれる、いい奥さんだと思ったのに(なんでもやってくれる都合の良い妻だと思ったのにな) ・・・など 相手の身勝手な期待にも、都合よく応えてくれる人 それこそが、「いい人」の正体だ!! それに気づいた時。 うわあ・・自分、何やってんだマジで。。相当落ち込んだ。 いい人でいる事が、なぜ苦しくなるか、これで良く分かった。 そりゃそうだわ 相手の身勝手な期待に応える人が、「いい人」なんだから。 その「いい人」をやるなんて、辛いに決まってる。 どんだけ無意味な事に、時間を費やしてきたのだろうか。。 それと同時に 「いい人」に 「価値は無い」と、きっぱり思う事も出来た。 いい人でいるという事は、自分が苦しむだけだという事。 「いい人」という響きだけに翻弄されていたのだ。 「良い」という言葉は、やはりいい言葉なんだね。 だけど、「本当の意味」を考えなくてはならなかった。 いい人とは、ただ都合の良い人に...

思考は、行動の「司令塔」

私は、〇〇のプロ、〇〇の専門という響きを聞いたり見たりすると、とても辛くなる😖   〇〇のプロ、〇〇の専門、トップアスリート・・・ なんてキラキラした、眩しい言葉なんだろう✨ そんな風に言える事、私には何一つ無いな。。。 そんな気持ちの辛さを乗り越える。 ・・・いや、越える必要は無かった。 その辛い、〇〇のプロ、〇〇の専門 それは、 「比較する対象ではない」✖ 比較してしまうと、 「それなのに自分は・・・」と、自分を悪く思うようになる。 自分という人間が、ちっぽけに見えてしまう。 だから、辛いのかもしれない。 比較してはいけないし、比較する必要もなかった。 比較じゃない。 「希望の光」 と捉えてみることにした。 「同じ人間が出来ているんだ。・・・・ 自分にだって、出来ることがある かもしれない 」 プロになった人、何らかの専門になった人、トップアスリートになった人。 一つのことに絞って集中して、そのためだけに人生を捧げてきた人々。 他の選択肢もあっただろう、その選択肢をすべて捨てて、選択決断し、行動してきた人。 それは尊敬に値する存在だ。 私はというと、まだ、一つに絞っていない。 「何か、 一本に 集中していない」 残念ながら、まだ、何に集中したらいいかわかっていない。 憧れの人たちは、これ一本しかやらない。と決めた人達。 なりたいのに出来ないから、どうしても辛かった。 プロ、とか、専門、とか、トップアスリート、のような「響き」が 私一個人的に、「眩しく思えた」だけのこと。 「希望の光」と聞くと、凄く眩しい光のような印象だけれど 私が考える光の様子は、 「ほんのわずかな光」 今の私の状況は、「暗闇」 その暗闇に、かすかでも「光」が見えたら、それだけで「救い」になる 「まだ、捨てたもんじゃない まだ、出来る事があるかもしれない」 何もできない。。どうせダメなんだ。。 から 自分にもできるかもしれない 凄いな!私もなりたい!! そう思えたら、前へ進めるようになれるかもしれない。 全ては自分の中の「解釈」に過ぎない この時点では 現実世界では、何も起こっていない。 頭の中の世界で、ただ、自分と向き合って、どう捉えるかを決めているだけ。 その 決めたことが、自分のこれ...

小さな「イチ」の威力

何かに新しくチャレンジしようとしたとき 例えば、料理を全くしたことのない大人が 初めて料理にチャレンジするとき 最初にチャレンジする「内容」は、とても重要だ。 何故なら、「最初のチャレンジ=入り口」はまさに「第一印象」と同じで そこで上手く行かないと、もうやりたくない、になってしまう事が多いからだ 小さな「イチ」 おにぎりを作る、目玉焼きを作る、ゆで卵を作る…など 小さな子供がチャレンジするならまだしも、大人なのに? と思う程の、 「楽勝」 なこと。 ところが実際にやってみると、それでも上手く出来るかどうか、ではないだろうか? 塩おにぎりを作ろうとした時 私はTV番組の作り方をみて、忠実に再現したらできた。 もしそれがなかったら、酷いおにぎりになっていたはず・・ 塩加減が意外と難しくて、 付け過ぎればとても食べられたものではない・・ 手に水をつけなければ、手にお米はベっとべと。 やり方を知らないと、どんなに楽勝なことでも、 全然うまくいかない。 楽勝そうに見えることが、=楽勝とは限らないこともある 小さなイチは、バカにできない。 楽勝=小さなイチ これができたらまず凄い! 自信のない人ほど、超簡単で楽勝という「印象」の物事ほど、つい見下しがちになってしまう。 まさに前までの私がそうでした・・反省です。 何か新しいことを始めようとするとき 進み具合の遅さ、あまりの出来の悪さに つい自信がなくなる。 実際にチャレンジをしてみて、上手く行かないと、 何やってもダメだな自分は 向いてないんだろうな やっぱ自分だから上手くいかないんだろうな 他の人なら上手く出来るんだろうな 自分って本当に不器用だな… 何一つ上手くいった事がないからな…いつも通りだな… と思ってしまう。 初めてのことに挑むなら、上手く行かない事に挑むなら その後に起こることは、 必ず 成功しない結果 一般的には「失敗」と呼んでることが多いけれど 失敗って、実はないのかも・・? 成功しなかった結果だった、というだけで。 期待した結果じゃなかった、だけのことで 経験値は確実に得ている。 何かしら、得ているものがある。 挑戦する前に悩んだ自分 挑戦した自分 実際に実行した自分...