何もできない自分。。について、考えてみた。
「何も」とは、
➛「人に」「胸を張って」「堂々と」「出来るよ」
と言えるような、何らかの「特技」を指している。
「人」が軸。
その「人」が見た時に
「おおー!すげえ!」「さすがだな!」
と言ってもらえるほどの凄い腕。
が、
「無い自分」
と、嘆いているわけなのです。
「人に凄いと言われない程度の能力では、何か出来ているうちには入らない」
というのが、今の自分の「判断基準」になっている。
だいぶ年を重ねてみて想う。
凄い=出来る
である必要があるのだろうか。
別にどう思われても良いんじゃないだろうか。
それと同時に
仮に、ピアノが出来るよ、と言ったとします。
言った目の前の相手から、
「え。。それで?」とか「それって出来るうちに入るの?」とか
「ピアノ出来るって言っといて、〇〇っていう作曲家のこと、何もしらないわけ?」
などと
「嫌なリアクション」=否定される、悪く言われる、バカにされる
のが、
「怖い」
んですね。。
冷静に考えてみると、その目の前の相手にも問題がありそうなんですけどね;
ただ、そうなんだ!凄いね!
と言えばそれで良いのに、いちいち文句。
もしかしたら、その相手こそ、自信の無い人だったのかもしれません。
その時、この人、可哀そうな人かも。ってわかっていたら
私は傷ついたり、そこまで怖がることは無かったのかもしれません。
今も少しは怖いですが、
「何も」とは、
➛「人に」「胸を張って」「堂々と」「出来るよ」
と言えるような、何らかの「特技」を指している。
「人」が軸。
その「人」が見た時に
「おおー!すげえ!」「さすがだな!」
と言ってもらえるほどの凄い腕。
が、
「無い自分」
と、嘆いているわけなのです。
「人に凄いと言われない程度の能力では、何か出来ているうちには入らない」
というのが、今の自分の「判断基準」になっている。
だいぶ年を重ねてみて想う。
凄い=出来る
である必要があるのだろうか。
別にどう思われても良いんじゃないだろうか。
それと同時に
仮に、ピアノが出来るよ、と言ったとします。
言った目の前の相手から、
「え。。それで?」とか「それって出来るうちに入るの?」とか
「ピアノ出来るって言っといて、〇〇っていう作曲家のこと、何もしらないわけ?」
などと
「嫌なリアクション」=否定される、悪く言われる、バカにされる
のが、
「怖い」
んですね。。
冷静に考えてみると、その目の前の相手にも問題がありそうなんですけどね;
ただ、そうなんだ!凄いね!
と言えばそれで良いのに、いちいち文句。
もしかしたら、その相手こそ、自信の無い人だったのかもしれません。
その時、この人、可哀そうな人かも。ってわかっていたら
私は傷ついたり、そこまで怖がることは無かったのかもしれません。
今も少しは怖いですが、
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